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SANKIROU

三宜楼運営協議会

社交の宴
三宜楼をめぐる人々

踊り、三味線、小唄、長唄等の師匠を券番に招き、芸を磨く為、日々精進を重ねた。

芸妓達は三宜楼の裏玄関から上がり、2階の控え室で出番を待った。宴会は主に3階を利用したという。
芸妓は券番に登録し、座敷に上がる。券番とは芸妓の取り次ぎや、花代と呼ばれる出演料の清算等を行う事務所のことである。
(現錦町公民館)が大店で、最盛期には約200名の芸妓が属していた。
踊り、三味線、小唄、長唄等の師匠を券番に招き、芸を磨く為、日々精進を重ねた。

北九州の大企業は宴会に門司を利用することが多く、清滝方面は深夜まで弦歌の音色が響き、人通りが絶えず賑わっていたという。中でも、三宜楼は出光佐三、中野真吾等、財界人がで通ったことで知られている。
出光佐三は門司の地で出光商会(現出光興産)を創業した人物である。機械油等の販売、聞発を行い、国内産業の発展に貢献したばかりではなく、後には東アジアを中心にその販路を拡大した。