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SANKIROU

三宜楼運営協議会

繁栄の名残を今に留め
門司港の象徴として生まれ変わる。

三宜楼は当時の人々にとって繁栄と娯楽の象徴であった。

中野真吾は国際通述(現日本通運)の初代社長、中野金次郎の実弟である。自らも運輸業界で活躍し、市議会議長、後には門司市長として戦後の復興に尽力した。彼らが中心となり、三宜楼で月に一度、「風師会」なる会合が持たれた。
門司の風師山から名を取ったこの会合では、長唄、清元、常磐津、踊りのいずれかを取り上げて、芸妓達が自慢の芸を競い合ったという。若い芸妓達にとっては格好の勉強会であった。国鉄、税関等の幹部、大手企業の役職者が名を連ね、風師会で認められることは門司芸妓にとって大変名誉なことであった。

三宜楼は当時の人々にとって繁栄と娯楽の象徴であった。門司花柳界は門司港の発展と共にあり、戦後の混乱の中、華やかな歴史に暮を引くこととなる。近年、三宜楼は門司港の歴史を知る貴重な資料として、その価値が見直されている。保存会の活動により、老朽化が進んだ建屋の修繕工事が進行しており、工事終了後には一般公開の予定である。料亭三宜楼は、繁栄の名残を今に留める。門司港の象徴として生まれ変わる。港から足を伸ばし、遠く弦歌の音色に思いを馳せてみてはいかがだろうか。