SANKIROU 三宜楼運営協議会 門司港の繁栄を眼下に臨む三宜楼 2024.03.06 現存する旅館や料亭等の建屋としては九州最大級を誇り、延床面積は約1200平方メートルに及ぶ。 三宜楼の正確な創業年は定かではないが、1906(明治39)年当時の地方新聞「門司新報」にその名が登場している。建屋が手狭となった為、移転、再建し、現存する三宜楼の建屋を清滝に構えた。1931(昭和6)年4月1日付けの「門司新報」に「新築開業御披露」の広告が掲載され、同年4月5日、同紙は写真と共に三宜楼を紹介、賞賛している。 新築、移転の御披露目を祝して、4月2日から一週間にわたり招待の宴を設けたとある。 三宜楼は高さ5メートル程の石垣の上に築かれた3階建ての和風建築である。木造、瓦荘の建屋であり、屋根、門、塀の軒先や軒飾りには、家紋入りの瓦が使用されている。現存する旅館や料亭等の建屋としては九州最大級を誇り、延床面積は約1200平方メートルに及ぶ。 1階の配膳室にはリフト式エレベーターが設置されており、これで上階の配膳室に料理を運んだ。2階には「百畳間」と称される大広間と、洋風ホールがあり、「白畳間」は64畳の広間、16畳の舞台で構成されている。広間を遮る柱は無く、音響効果を高める為に舞台の床下には甕が敷き詰められていた。 建設当初、和風仕立であったホールは、シャンデリアを設えた洋風に改装され、ダンスホール等にも利用されていた。 他、各階に意匠を凝らした和室が大小用意され、いずれも客同士の鉢合わせを避ける配慮から、複雑に入り組んだ配置となっていた。